近藤勇陣屋跡に想う。。
昨日は地元中心に活動をしていて、流山にも出没。営業活動をした場所のすぐ裏に、
「近藤勇陣屋跡」の標識。。。この辺は何十回何百回と車で通っているし、歴オタの
自分もこの場所は当然知っていたが、例にもれず近くだから、、ということで実際には
言ってなかったので、ぶらっと散策。。 そもそもの新選組が流山に来た経緯は、、
1868年1月鳥羽・伏見の戦いで新撰組も敗走、大阪から江戸に戻った。その後、近藤は
幕府から「甲陽鎮撫」(甲斐国甲府=現山梨県甲府市は幕府領で重要地だった)を命ぜられ
新撰組は「甲陽鎮撫隊」と改名。甲州街道を甲府へ向かうが、3月6日の甲州勝沼の戦いで、
板垣退助率いる新政府軍に敗れ敗走。この後、近藤・土方は会津行きに備えて隊を再編成。
近藤は名前を「大久保大和」に変える。4月には下総国流山(千葉県流山市)の酒造家
長岡宅を本陣に構え屯集するが新政府側にも情報が入り、4月3日に近藤は捕縛され、板橋宿
(東京都板橋区)まで連行、4月25日に板橋刑場にて斬首された。享年35歳。
この流山の本陣にて、土方とも永遠の別れとなってしまう。土方は勝海舟に会って、近藤の
助命嘆願を申し出ているがかなわなかった。。
きっと、近藤がここで捕縛されなかったら、恐らく土方と行動を共にし、宇都宮・会津そして
函館戦争まで戦っていたのだろうと思う。土方同様、自分の生きざまと死に場所を求めて。。。
色んな想いを抱かせる場所でした。。
周りは閑静な住宅街で、駐車場もありませんので、お越しの際は電車(南流山駅が最寄)のほうが
いいかもです。。